コラム

2022-10-19 16:00:00

2022年ノーベル経済学賞をめぐる毀誉褒貶

2022年ノーベル経済学賞受賞者が10月10日に発表され、ダイアモンド、ディビッグ、バーナンキの三人が受賞したことはすでに旧聞に属する。その受賞理由は、銀行が持つ本質的な不安定性についての理論と、銀行破綻が恐慌のような形で実体経済に影響する方法の解明だ。

さて、ノーベル経済学賞は毎年発表されるたびに「なんであいつなんだ」、「あいつにやるならこいつにもやるべきだ」、「こいつを先にすべきだった」といったグチが飛び交う。だが個人的な印象として、2022年は特に呪詛や罵倒が多かったように思う。そしてそのほとんどは、ベン・バーナンキに対する呪詛だった。

バーナンキの理論は、銀行部門の破綻が実体経済になぜ波及するかをめぐるものだ。それは銀行融資の縮小と資産価格下落の悪循環を通じて起こる。その理論家としての実績もさることながら、彼はアメリカのFRB議長として、自分の理論の持つ含意をリーマンショック/世界金融危機への対応で活かし、まがりなりにも世界経済を崩壊から救った。同時に、デフレに陥りかけたアメリカ経済に対して2%のインフレ目標を設定して、積極的な金融緩和レジームを確立することでアメリカ経済の復活の後押しに成功した。

自慢ではあるが、著者はこうした理論と実践の双方でもバーナンキの実績を評価してきた。それ故にバーナンキがノーベル賞を取りそうだと、自分のブログで2017年から主張してきた。それは著者の個人ブログを参照してほしい。半ばお遊びとはいえ、その予想が見事に当たってくれたというのは、何とも鼻の高いことではある。

だがその一方で、彼のノーベル賞への批判は、彼がまさにこの実務の現場にあまりに近かった点からもきていたように思う。

気の利いた悪口としては、これは中央銀行が中央銀行の運営について、中央銀行家にあげた賞だ、というものを見かけた。ご存じの通り、ノーベル経済学賞の選定はスウェーデン中央銀行が行っている。今回のバーナンキ受賞など、中央銀行の身内のお手盛りでしかないのでケシカランというわけだ。そしてもちろん実務には政治色もつきまとうので、そのために敬遠されるという見方も耳にした。

そしてもちろん、政策そのものに対する批判者も多い。そもそも危機の元凶たる銀行を救済すること自体許せない、ダメな銀行はつぶすべし、バブル企業は倒産させろ、膿を出し切る創造的破壊こそが経済再生の近道、それをしなかったバーナンキは金融業界の走狗で、経済を救うどころか問題を延命させた極悪人、そんな人物にノーベル賞とは片腹痛い、といった呪詛が、今回の受賞報道とともに一気に噴出した。またアベノミクスや黒田日銀に批判的だった日本の経済論壇やマスコミのかなり大きな一部は、その理論的基盤でもあり強い支持者でもあったバーナンキの受賞について、よくても控えめで歯切れの悪い物言いが多かったように思う。そうした批判にかこつけて、バーナンキの理論にまで非現実的だとケチをつけ、行きがけの駄賃で他の二人、ダイアモンド=ディビッグすらけなす(まともな論文が一本しかない云々)コメントまで散見されたのは残念ではある。

だが、個人的にはこうした批判(というより難癖)は不当だと考えている。最終的に、経済学は現実の経済を扱うものだし、現実の経済についての理解を深めるためのものだ。バーナンキの理論的な知見が、経済運営の実務に影響し、それが曲がりなりにも有効であったなら、それは理論と実証が一致したということで学問的によいことだ。実務に携わったから評価しない、というのは、筋違いだろう。

金融危機でのFRBの対応が正しかったのか、という点は、もう決着がついているとは思う。ケチをつける余地はあるのだろう。別のやり方があったのかもしれない。だが基本的な方向としては理論通り。各種の「非伝統的」なやり方を通じ、中央銀行がバランスシート上に様々な資産を引き受けることで、資産価格はある程度維持され、バーナンキの理論が警告する資産価格下落と融資引き締めの悪循環は回避された。そして銀行を救済することでダイアモンド=ディビッグの理論が警告するような銀行の不安定性も抑えられた。そしてそれにより、世界経済が崩壊の危機から救われたし、批判者たちの懸念——ハイパーインフレなど——はどこにも出てきていない。それを考えると、著者は今回の受賞が実に妥当なものだと思うのだが、いかがだろうか。

そしてついでに、彼が高く評価してきたアベノミクスや黒田日銀の量的緩和についても、その意義を改めて評価すべきではないだろうか。もちろんこの著者は、日本のリフレ派と呼ばれる一味の太鼓持ちではあり、この点について必ずしも客観的な立場ではない。が、多少は権威も見識もあるとされるノーベル賞受賞を期に、バーナンキが何を評価しているのかについて、改めて見直すことは決して無駄ではないと思うのだが。(山形)

2022-09-14 00:00:00

円急落に思う in タンザニア

8月下旬から2カ月間の予定で、タンザニアのダルエスサラームに来ています。今回の出張、うっかり成田で円をドル転してくるの忘れてしまい、「まぁ着いてから両替すればいいか」と割り切って現地入り。しかし先日地場銀行に両替に行ったところ、何と訪れた銀行が3行とも「日本円は取扱っていない」との回答。たしか前週までは店先のボードに円の為替レートも表示されていたのに...。これは恐らくここ最近の円急落が嫌気されているためで、そのあと行ってみた両替店でも円は取扱っていたものの、¥1.00=16(タンザニア)シリング台半ばの市場レートに対して、¥1.00=10シリングでしか買い取ってもらえず、もう「円なんか持って来るな」と言わんばかり。ここにきて在外邦人の利便性にまで影響が出ている円の下落ぶりをたっぷり思い知らされる羽目になりました。

銀行や両替店によるこうした対応の直接的な原因は、為替レートの「水準」ではなく「変動幅」でしょうから、過渡期的な反応だと思いたいところ。ただそもそもの背景ということで考えると、日本経済が

     付加価値を生み出せていない
≒  経済成長できていない
→ 利上げ余地が無い
→ 欧米の利上げで内外金利差拡大
→ 円安圧力増大

という循環から抜け出せていないということでしょうから、大きな意味では成長から取り残された経済そのものにも原因があると考えることができるでしょう。

他方、こと円安の話になるとすぐ「輸出企業が潤って調整メカニズムが働くから心配ない」みたいな論調が出てきがち。しかし長い目で見て、生み出せる付加価値が伸びていない経済が、そういう従来型の調整で新たな均衡点に落ち着けばいいというだけの話なのかは、根本から考え直す必要があるのではないでしょうか。このことは安倍政権が三本目の矢を撃ち損じて以降ずっと言い続けてきましたが、ついにそのしわ寄せが抜き差しならないところまで来てしまっているように思えてなりません。(浦出)
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