コラム
【追悼】 Mr. Emmanuely D Lyimo, Partnerships and Resource Mobilization Manager, TADB
彼は名門ダルエスサラーム大学を卒業後、農業ビジネスコンサルを経て2020年TADBに入行、Partnerships and Resource Mobilizationの責任者としてドナー機関ほか外部とのコミュニケーションを担う、いわばTADBの顔とも言える存在でした。
どんな逆境に直面しても怯むことなく、前向きで陽気な彼の人柄には何度救われたかわかりません。また日本から持参したお菓子を並べた私のオフィスにコーヒー片手に立ち寄ってくれたり、私のアシスタントに「ウラデさんの着てるあのジャケットはどこのブランド?」みたいなことをこっそり聞きに来たり、とても人懐っこくチャーミングな彼の笑顔が忘れられません。
彼とは絶対また一緒に仕事したいなと思い、私の任期が終わったつい半年前にも再会を誓って別れたばかりだったのに、残念でなりません。2年超に及んだ私の仕事を支えてくれた彼の熱意と友情は決して忘れません。有難う、そしてお疲れ様、Emmanuely。どうぞ安らかに...
浦出 隆行
代表社員/CEO就任のご挨拶
このたび当社代表社員/CEOに就任致しました浦出隆行です。どうぞ宜しくお願い致します。
わが国の開発援助業界は戦後まもなく産声を上げて以降、時代とともにその役割を少しずつ変化させてきました。並み居る業界の諸先輩を前にお恥ずかしいのですが、私がこの業界を志した90年代後半は、それまで主流とされてきた「ハコモノ」と称されるインフラ整備支援とは若干毛色の異なる分野として、旧社会主義圏の市場経済化や、アジア通貨危機後の域内金融協力などが注目を浴びていた時期でした。
そんな中、私もそうした分野での仕事を志し、勤務していた銀行の破綻を機にこの業界に飛び込んだわけですが、当時その受け皿として影響力を持っていたのは大手金融系のシンクタンク。私も結局その後20年余りのキャリアの大半は、その手の組織でお世話になってきました。
今般そうした業態を離れ、当社のような独立系の立場から業務を続けることにしたのには、いくつかの背景があります。ひとつは、これまで親会社である金融機関とのシナジーやCSRといった戦略上の観点からODAを手掛けてきたシンクタンクの中には、担当部門を維持できないところも出てきたこと。ふたつめは、各社のそうした部門で活躍してきたエース級人材が今や、同じ社内には残っていても違う仕事をしていたり、或いは既に社を離れてしまっているケースが増えてきたこと。そして最後に、これらの人材が従事するのがベストといえる案件は依然として減っておらず、いわば「需給のミスマッチ」が生じていることです。
かかる状況下、そうした「業界の宝」を再結集するべく当社が生まれたのも、ごく自然な流れと言えるのかも知れません。とは言っても社員数名の小所帯ですし、これが今後大きな流れになっていくのかは今のところわかりませんが、少なくともいまだ衰えることのない政策支援ニーズの受け皿として、当社が果たしうる役割は大きいのではないかと考えます。
というわけでJNEW合同会社、まだまだ弱小勢力ではありますが、これを機にお見知りおきのほど何とぞ宜しくお願い申し上げます。